山笑う 三重県飯高町 木梶林道
4月20日、暖かな陽光の中の新緑と山桜を見ようと再度木梶山に向かいました。
山腹一面の大峰の山桜を眺めに行こうと思いましたが途中の石や塔への林道が通行止めで、ならば川上村の渓谷の山桜と思いましたが、ニュースでその川での遭難事故の映像が流れて翌日には行けないと断念しました。
木梶山はこの13日に登っていて芽吹きの新緑と山桜を見ましたが、その後の雨風で山桜は散ったと思っていました。
グーさんに山桜はまだ咲いていると教えてもらったので出かけることになりました。
木梶林道の鳴滝展望地に車を止めて午前3時半から林道を歩いて、急斜面を登って暗い内に木梶川右岸展望地に着きました。
やがて空が赤くなって前回より進んだ新緑の中に山桜が咲いているのが見えてきました。そして太陽がゆっくりと登ってきて朝の色合いを眺める事ができました。
赤ゾレ山に登って地蔵谷の桜を見たいと思いましたが、寒い日が続いたので標高1000m以上は芽吹きはまだなので赤ゾレ山の北東尾根から下降しました。
木梶川に降りると日だまりの中で新緑がきらめいているのでゆっくりとして午前10時に鳴滝展望地の駐車地に戻りました。
好きな木梶林道の場所に行くと、山腹一面に新緑の中に山桜が咲いていて山笑う春の光景を見る事ができました。
グーさんに感謝です。
木梶川右岸尾根展望地からの日の出は春はあけぼのという言葉を思い出して、木梶林道では山笑うという言葉が出てきました。
好きな山で一面の山桜が見られてよかったです。
・ 令和3年4月20日
・ 台高山系 三重県飯高町 木梶林道鳴滝展望地~木梶川右岸尾根展望地~赤ゾレ山~北東尾根~木梶林道鳴滝展望地
・ 単独
春はあけぼの 三重県飯高町 木梶川右岸展望地
前回より新緑が進み山桜が咲いていました。
やがて太陽がゆっくりと登って山桜を照らしました。
「春はあけぼの」、前回は霧の流れるあいにくの天気で日の出は見られず、今回はこの一瞬を見るために暗い内に着いたのが報われました。
馬駆け場の残り雪
数日前の寒気では霧氷が着いたとは思っていましたが、少し積雪もあったようです。
国見山の芽吹きはこれからで花もまったく咲いてなくて前回と同じ風景でした。
赤ゾレ山のハートの池
前回に続いて池に青空の青色が鮮明でした。
赤ゾレ山頂上から大峰遠望
馬酔木の花は終盤で、奥に大峰の大普賢岳が見えていました。
木梶川の新緑と桜
暖かな陽光に包まれて新緑がきらめいていました。
山笑う 三重県飯高町 木梶林道
山一面に山桜が新緑の中で咲いていました。
八重桜と高見山 東吉野村
自宅に戻ってから思い出して好きな画家の東山魁夷さんの画集で新緑の絵を見ました。
「曙」は紫紺色に沈んだ山肌に桜がほのかに匂いでた静かな絵で、「春はあけぼの」を感じてきて、このような写真を撮りたいと日の出前の写真を撮ってきましたが、うまく撮れていません。
そして信州などの新緑の絵はやはりいいなあと思ってしまいます。
行乞流転の山頭火は新緑はどう思っていたのかと興味が湧き本を見てみました。
「越えてゆく山また山は冬の山」「分け入っても分け入っても青い山」などは山を登っていた頃に共感していて、「さくらが咲いて旅人である」は今でもそうした気持ちになります。
新緑は「木の芽草の芽やこれからである」の句の自身の説明で木の芽時が大好きであると書いてあり、やはり好きだったようです。他にも「木の芽草の芽あるきつづける」などがあり、木の芽はほんたうにうつくしい、花よりも美しいと書いています。
ちなみに今の私は、と探しました。
「どうしようもないわたしが歩いてゐる」がぴったりのようです(笑)