5月30日、天川村に咲くクリンソウが思わぬ群生になっているのをRさんのブログで知りましたので、やっとyosikoさんと日が合ったので見に行きました。
クリンソウはもう終わっているかもしれないと思いましたが、嬉しいことにたくさん咲いていてくれました。
クリンソウの咲く森林にはシダがあって大峰らしい風景なのもよかったです。
龍泉寺や川沿いの大峰修験の雰囲気を味わってから、円空仏のある栃尾観音堂と天河大辨財天社に参拝しました。
この後、川上村に寄って蜻蛉の滝の滝の虹を見たりしていい一を日を過ごしました。
兵庫県の千種湿原のクリンソウが今年もコロナで行けなかったので、群生を見られて幸いでした。
またシダがある森の中に咲く様子が私にとっては嬉しかったです。
シダの森に咲くクリンソウ 天川村 洞川
思っていたよりも花が多くて、シダの森に咲いていてくれたのが大峰らしくて嬉しかったです。
修験の地の遊歩道にて 洞川
龍泉寺に咲くユキノシタ 洞川 龍泉寺
洞川の街
yosikoさんが陀羅尼助を買うのと言うので洞川の町を散策しました。
おじいさんの代からいつも決まった店で買うようです。
円空仏のお堂 天川村 栃尾観音堂
天川村に円空仏があるのは知っていていつかは見たいと思っていました。
小さなお堂は自由に入れて電気をつけて見れるようにされていました。
微笑んでおられる大弁財天女像がよかったですが、ガラス越しにはわからないものの、パンフレットを見ると荒々しい円空らしい他の2体も微笑んでおられるようです。
円空さんは大峰でも修行をされていて、笙の窟などで冬のさなかの越年修行も行われたようです。
天河大辨財天社 天川村 坪内
音楽や芸能神様として有名で、大勢の方が参拝されていました。
私の写真は芸術とは言えませんが、いい出会いができて写真が撮れますようにとお願いしました。
ここへ来るといつも思い出します。
高校一年になったすぐのゴールデンウイークに同級生のSとテント泊で川合から弥山に向かいました。弥山では当時は残雪が多くその上にテントを張りましたが、夜から暴風雨になり荒れ狂いました。翌朝に下山として栃尾辻から川合に降りましたが暴風で動けなくなり、また当時の雨具のポンチョでは役に立たたずずぶぬれで寒くて震えながら栃尾辻にやっと引き返して、坪内へ何とか降りました。大峰でも数件の遭難が起こった時で、山の洗礼を受けました。
Sはこの後心臓がおかしいと言いましたが、高校の間山登りを共にできました。
高校卒業後は会ってなくて年賀状を交わすだけですが、一度酒を飲んであの時のことや、一緒に行った大峰の奥駆けや北アルプスのことを話したいと思っています。
大滝茶屋の柿の葉寿司 川上村 大滝
道の駅 吉野路黒滝でこんにゃくと焼草餅を食べましたが、川上村の柿の葉寿司を食べたくなって向かいました。
いかにも手作りの素朴で独特の味です。
河原で山を見ながら食べました。
蜻蛉の滝に架かる虹 川上村
虹が架かる時間なので寄ってみると、水量が少ないのでかすかですが虹が見られました。
大雨の後の豪快な虹の写真を久々に撮ろうかなと思いました。
フルマラソンに別れを告げることにしました。
フルマラソンは40歳の時に走ろうと決めて41歳の時に土山マラソンで始めて出て、2年半前の70歳の時の木津川マラソンまで走ってきました。
最高タイムが42歳の時の木津川マラソンでの冬の雨の時に走った3時間13分で、サブスリーは残念ながらなりませんでした。
山登りの時はタイムは一切取らないのに、練習で走る時はタイムを残すなど結構熱心に走りました。
走ると痛風が出て練習ができなかったり、調子のいい時にレースが高温になったりと恵まれなかったですが、結局はその程度の力だと思います。
だんだんタイムが落ちてきて、フルマラソンが走るスポーツである以上4時間を切れなくなる時はフルマラソンを走るのはやめようと常々思ってきました。
70歳の時は腰痛が出て腰をかがめながらかろうじて4時間は切りました。最後の2kmは4時間は切ろうと死ぬ気で走りました(笑)
木津川マラソンで70歳代の上位入賞を目指して、最後の挑戦として今年の2月に走りたいと思っていましたが、コロナで大会が中止となり次回も目途が立ちません。
今年に73歳になりますが、次に開催されても30kmからの落ち込みが目立つようになっていて、4時間を切れないと思います。
フルマラソンでは35kmから地獄を見たりしましたが、次の日にはまた挑戦したいと思う魅力があり、いろんな思い出が湧いてきます。
「老兵は死なず、消えゆくのみ」
フルマラソンと、一緒に走った職場の仲間やサーナ院長さん、応援してくれた家族に感謝です。
ありがとうございました。